ローマコインの物語(改訂版)

紀元前8世紀に、3000人の若者がつくったローマは、その後15世紀に滅亡するまで、地中海世界の覇者でした。
このローマのコインについてお話します。
■建国時のエピソード ⇒ 「サビーニ娘の略奪」

● AES GRAVE の時代 (前3世紀)

紀元前270年、ローマ共和国は、南イタリアで経済的に発展していたギリシャ植民都市を征服し、ルビコン川以南のイタリア半島のすべてを支配下に置きました。
このころまで、ローマは、ギリシャ諸都市の貨幣を使っていましたが、このときになって独自の貨幣を発行し始めました。
このころの地中海世界は、ギリシャ、ペルシャ、フェニキア人たちの金貨・銀貨・銅貨が使われていましたが、ローマが採用したのは銅貨を中心とする「銅本位制度」です。
   1アス(As)銅貨 : およそ324g
を基準とし、1アスから12分の1アスまでの銅貨を発行しました。
同時期の中国でも銅本位制度でしたが、中国では基準となる1種類の貨幣だけを多く発行し、取引ではその枚数で行うことが多かったのに対して、ローマでは何種類もの銅貨を発行しています。
銀貨も少しは発行しましたが、基本的には銅貨を中心とする銅本位制でした。 当然、高額の貨幣は重くなりました。
この時代は「AES GRAVE(アエス・グラヴェ)」と呼ばれています。 ”重い青銅”という意味です。

      Sextans(1/6アス)銅貨 前265~前242年
表:亀  裏:車軸
6本の車軸が1/6を意味している。
41.1g 32~33mm 厚さ11.6mm  
Semis(1/2アス)銅貨 前225~前217年
表:サターン神  裏:ガレー船の舳先
表面下部と裏面上部の「S」が、Semisを意味している。
127g 51.5mm 厚さ12.8mm
セミス(1/2アス)銅貨は、10円玉28枚分もの重さがあります。 どんな財布に入れていたのか、想像するだけで楽しくなります。


● 共和国時代 (前3~前1世紀)

第2次ポエニ戦争のさなか、紀元前211年に、貨幣制度を改定します。
   1デナリウス(Denarius)銀貨 = 10アス(As)銅貨 (紀元前140に16アスに改定)
デナリウス銀貨を基本とする銀本位制です。
    共和国初期のアス銅貨 前211~206年
表:双頭の神、ヤヌス神。
裏:ガレー船の舳先。上部にI、下部にROMA
なんとも不思議な神です、頭が二つあるのです。
アス銅貨の重さは、ポエニ戦争中に急激に軽くなり、このころは30グラムくらいになっています。
32.4g 34mm

スキピオがカルタゴを滅ぼし、ポンペイウスが東方を征服し、カエサルがガリアを倒し、ローマが地中海世界の覇者となりました。
このころ、ローマには3人の造幣責任者がおり、毎年各自が自分の裁量でデナリウス銀貨のデザインを決めていました。
彼らのデザインは優れたものが多く、私たちの目を楽しませてくれます。
     デナリウス銀貨 前48年
表 アポロ神
裏 4頭立て戦車で、馬の躍動感がいっぱいです。
  その下に、造幣責任者名「CVIBIVS」
3.9g 17.5~19.0mm
カエサルのデナリウス銀貨 前49年
表:大蛇を踏みながら歩く象、下部にCAESAR
裏:斧
カエサル(シーザー)が発行したデナリウス銀貨です。
3.6g 17.4mm
 
■もっといろんなデナリウス銀貨 ⇒ 「紀元前のギザギザコイン」 「古代ローマの記念コイン」

アウレリアヌス帝の城壁  (wikipediaより)


● パックスロマーナ (1~2世紀)

皇帝になったアウグスツス(オクタビアヌス)は、貨幣制度を改めます。
   1アウレウス(Aureus)金貨 = 25デナリウス(Denarius)銀貨
            = 100セステルティウス(Sestertius)黄銅貨 = 400アス(As)青銅貨

基準貨幣はデナリウス銀貨です。 聖書では「デナリ」と呼ばれています。 この時代、農園に働く労働者の1日の賃金は1デナリウスでした。
金貨は、東方との貿易に使われました。
この頃の推定人口は5400万で、同時期の漢帝国とほぼ同じです。

      アウグスツス帝のデナリウス銀貨 前27~後14年
表:ローマ初代皇帝アウグスツス(オクタビアヌス)
裏:ガイウス・カエサルとルキウス・カエサル。その間に楯と槍。
18.0mm 3.7g
      ネルヴァ帝のアス銅貨 96~98年
表:ネルヴァ帝 裏:リベルタス神
五賢帝の最初の皇帝です。
96-98AD  10.26g 26.9mm
トラヤヌス帝のセステルティウス黄銅貨 113年
表:トラヤヌス帝 裏:フォルトゥーナ女神
五賢帝の二人目、トラヤヌスです。
25.1g 33.2mm 厚さ3.3mm
■このコインの物語 ⇒ 『古代ローマ帝国1万5000キロの旅』
      トラヤヌス帝のデナリウス銀貨 98~117年
表:トラヤヌス帝 裏:戦利品
五賢帝の二人目、トラヤヌスです。
3.29g 18.2mm
      ハドリアヌス帝のアス銅貨 117~138年
表:ハドリアヌス帝 裏:ホノス神
ローマ帝国の領域が最大だったときの皇帝です。
10.1g 26.3mm
    アントニヌス・ピウス帝のアウレウス金貨 148~149年
表:アントニヌス・ピウス帝 ANTONINVS AVG PIVS P P TR P XII
裏:アクトゥス女神 COS IIII
五賢帝の四人目、ローマ最盛期です。
7.08g 19.0mm
 
アントニヌス・ピウス帝のセステルティウス黄銅貨 138~161年
表:アントニヌス・ピウス帝 裏:ティベリス川の河神
ローマの威信を誇るような堂々たるコインです。
表:皇帝像の左に ANTONINVSAVG 、右に PIVSPPTRPCOSIII
  ANTONINVS = Antoninus アントニヌス、皇帝名
  AVG = Augustus 「尊厳者」、ローマ皇帝の称号
  PIVS = Pius 「敬虔な」、ローマ皇帝の称号
  PP = Pater Patriae 「国父」、ローマ皇帝の称号
  TRP = Tibunicia Potestas 「護民官職権」、ローマ皇帝の称号
  COSIII = Consul 3 「3回目の執政官」
裏:上 TIBERIS ティベリス、河神の名
  下 SC = Senatus Consultum 「元老院の決議により」
26.07g 34.1mm

■このころのローマ人の生活 ⇒ 「ローマ人の買い物」
■このころ、ローマの属州では独自にコインを発行していました ⇒ 「ローマ帝国の地方コイン」
■貨幣経済が浸透しても、貨幣の供給は必ずしも潤沢ではありませんでした ⇒ 「蛮族の放射」 「半分に切って使ったローマコイン」
■このころ、周辺の民族がローマのコインを模倣したコインを発行することがありました。  ⇒ 「蛮族のコイン」  「亜鉛のデナリウス」


● ローマ軍団兵士の年俸
治世者改訂時期年俸
共和国時代200BCころ  70デナリウス
カエサル48BC 140デナリウス
アウグスツス27BC-14AD 225デナリウス ※ 
ドミティアヌス81-96 300デナリウス
セプチミウス・セウェルス193-211 600デナリウス
カラカラ211 900デナリウス
マクシミヌス・トラクス235-2381800デナリウス
 ※ このとき、軍団兵の勤務年数は20年、
   退職金3000デナリウス。
   近衛軍団兵は優遇されていて、年俸675デナリウス、
   勤務年数16年、退職金5000デナリウス。
ローマには常備軍がありました。 アウグスツスが皇帝になって不要な軍団を整理した時点では、28個軍団、16.8万人いました。
彼らは辺境を守るのが当初の使命でしたが、その後皇帝を推挙することに大きな役割を果たすようになり、そのため新たに皇帝になりたい人が、しばしば年俸を上げています。



● 衰退期のローマ帝国 (3~4世紀)

アウグスツス帝の定めた貨幣制度は、200年ほど堅調でしたが、3世紀ころから、皇帝たちの争いで国が乱れ、またスペイン銀山の産出量が減少し、インフレが進行します。 西方では偽造貨幣も多く出てきました。
カラカラ帝は2デナリウスに相当する新しい銀貨を発行します。 カラカラの本名にちなんで「アントニニアヌス(Antoninianus)銀貨」と呼ばれています。 独特の冠をつけた皇帝像が特徴です。 この銀貨、当初は銀が50%くらいありましたが、50~60年後には5%以下になりました。
カラカラ帝のアントニニアヌス銀貨 198~217年
表:カラカラ帝 裏:セラピス立像
大浴場で知られている皇帝です。
共同皇帝となった1つ下の弟を暗殺し、その信奉者2万人を粛清したと伝えられています。
5.39g 22.2mm

このころから、ローマ帝国は一人の皇帝が治めるには広くなりすぎていました。 複数の帝国に分割したり、地方の将軍がかってに「ローマ皇帝」を名乗ることが多くありました。
    ガリア皇帝ポスツゥムスのアントニニアヌス銀貨 260~269年
ガリア(現在のフランス)だけを治めていた「ローマ皇帝」です。
リヨンにて発行されました。
3.9g 21~23mm
ブリタニア皇帝アレクトゥス帝のアントニニアヌス貨 293~296年
ブリタニア(現在のイギリス)だけを治めていた「ローマ皇帝」です。
アントニニアヌス貨は、(銀貨から)すっかり銅貨に変身しています。
ロンディニウム(現在のロンドン)にて発行されました。
3.7g 24.8mm

309年に、コンスタンティヌス大帝は、貨幣制度を次のように改訂しました。
   ソリドス(Solidus)金貨 = 24シリカ(Siliqua)銀貨 =120フォリス(Follis)銅貨
マクセンティウス帝のフォリス銅貨 306~312年
表:マクセンティウス帝 裏:寺院に座すローマ
このころ、3~4人の皇帝が乱立して、互いに争ったり同盟したりしていました。
6.11g 24.5mm
      ユリアヌス帝のシリカ銀貨 361~363年
背教者として有名なユリアヌス帝です。
2.1g 16.6mm
■この皇帝の物語 ⇒ 「背教者ユリアヌス」

しかしこの頃から、コインの軽量化がすすみ、ついには1gを切る銅貨まで出現しました。
「フォリス」という貨幣名は消え去り、秤量貨幣となっていたのかも知れません。
コイン研究家は、この時期のコインを、AE15(直径15ミリの銅貨)のように表わしています。
        コンスタンティヌス大帝の銅貨 306~337年
表:コンスタンティヌス大帝 裏:城門
324年に単独皇帝となりました。コンスタンチノープルに遷都し、キリスト教を公認したことで有名です。
3.5g 18.5mm
        コンスタンティウス2世の銅貨 337-361年
コンスタンティヌス大帝の息子です。
2.0g 15.2mm
        皇帝名不明の銅貨 4世紀後半
皇帝象とその廻りに皇帝名が書かれているのですが、判読できません。
0.8g 11.9mm  

コンスタンティヌス帝の凱旋門

おりから地球規模での寒冷化が始まり、穀物の生産量が減りました。 北方にいたゲルマン人には特に深刻な食糧不足に陥り、比較的豊かなローマ帝国に侵入します。
ローマは軍団の数を増やして対抗しようとしますが、ますますインフレが進行します。
ローマは、不安定な西から東のコンスタンチノープルに首都を移します。 西暦330年のことです。

● 東ローマ帝国・ビザンチン帝国 (5~10世紀)

その後395年、ローマ帝国は東西に分裂、これ以降再び統一されることがなく、476年に西ローマ帝国は滅亡してしまいます。
一方東ローマ帝国は、その後も繁栄を続けますが、ゲルマン民族の侵入などで混乱する中、貨幣制度は大混乱していました。

498年、アナスタシウス帝が、貨幣制度の改革を行い、この混乱をおさめました。
   1ソリドス(Solidus)金貨 = 12ミリアレンセ(Miliaresion)銀貨 = 180フォリス(Follis)青銅貨
の3つを基本とするものです。 ソリドスは、兵士(Soldier)の語源になった言葉です。
518年にこの皇帝が没したとき、帝国には32万ポンドの金(2300万枚の金貨)が貯えられていました。
ところがこの後、ユスティニアヌス帝(在位527~565年)は盛んな外征を行い、かつての西ローマの旧領だったイタリアやイベリアを回復しますが、帝国の金を使い尽し、せっかく獲得した占領地を維持することもできないほどでした。
ユスティニアヌス大帝のフォリス青銅貨 538年
表 : 皇帝象
裏 : 大きなMは40ヌンムス、XIIは在位12年目を表わす
21.0g 37~38mm 厚さ2.5mm
■上のコインの大きな「M」はギリシャ数字の40を意味します ⇒ 「ギリシャ数字」

しかし、少し衰えたとはいえ「ローマ帝国」です。 当時のヨーロッパでは最も豊かな国です。 帝国の富をねらって、北からはスラブ民族、東からはササン朝ペルシャが侵攻してきました。
610年、カルタゴ総督の子だったヘラクリウスが、帝国の期待をになって皇帝になりました。 一時は、かつての領土小アジア、シリア、エジプトを回復しますが、新興サラセン帝国の攻撃で、それらの大部分を失ってしまいました。
帝国の領土はバルカンと小アジアのふたつの半島になりましたが、9~10世紀が最も安定して繁栄し、華やかなビザンチン文化が輝いていた時代です。

ヘラクリウス帝のソリドス金貨 610~641年
表 : 皇帝像
裏 : 3階段の上に十字架。左にVICTORIAの文字が見えます。 この皇帝は、これまでのラテン文字に代わってギリシャ文字を採用しました。
4.3g 20.8mm
ヘラクリウス帝のヘキサグラム銀貨 615~638年
表 : ヘラクリウス帝と、共同皇帝だった子のコンスタンティノス帝
裏 : 十字架階段
この銀貨は、7世紀にヘラクリウス帝が、ビザンツ帝国としては最初の本格的な銀貨として発行したものです。 ただし、7世紀末には発行されなくなりました。
6.4g 23.3mm
ニケフォロス2世のミリアレシオン銀貨 963~969年
表 : 三つの小十字架をつけた十字架
裏 :  
ミリアレシネン銀貨は、8世紀から11世紀にかけて発行された銀貨です。
1ソリドス金貨=12ミリアレシオン銀貨に相当します。
3.1g 23.3mm

● 官僚と兵士の給料
役職人数平均年俸
上級官僚605名94ノミスマ
中央軍兵士2.4万人13.6ノミスマ
テマ(地方)軍兵士10万人11.3ノミスマ
ビザンチン帝国では、官僚制と「テマ制度(軍管区制度)」が確立していました。 右の表は、9世紀の官僚や兵士の給料の記録です。 1ノミスマはソリドス金貨1枚のことです。 この当時、1ケ月の生活費は金貨2枚くらいだったそうでから、兵士の給料は生活費の半分くらいにしかならず、通常は農業で生計をたてていました。


テオドシウス帝の城壁 (wikipediaより)

● 十字軍の時代 (11~13世紀)

11世紀になると、ロシア、ハンガリー、トルコなどの異民族との争いに加え、貴族や民衆の反乱が続発し、また封建化の進行で皇帝領が減少し、国庫が困窮化したため、金貨の品質を低下せざるをえませんでした。 これまで90%以上の純度のあったソリダス金貨は、1080年ころには30%くらいまでに減少し、1092年ついに発行されなくなりました。
1092年、アレクシウス帝は貨幣改革を行いました。 
「ヒュペルピュロン金貨」、「エレクトラム・トラキー貨」、「ビロン・トラキー貨」の3種類を基本とするものです。
何れもお椀の形なので「カップコイン」と呼ばれています。
エレクトラムは金と銀の合金、ビロンは銀と銅の合金を意味していますが、時代と共に品位はだんだん劣化しました。
マヌエル1世のヒュペルピュロン金貨 1143~1180年
表 : キリストの像
裏 : 皇帝の像
4.2g 29mm  
アンドロニクス1世のビロン・トラキー貨 1183~1185年
ビロンとは銀と銅の合金ですが、銀は数%しか含まれていません。
4.4g 28~30mm

1096年より、ビザンチンの要請で始まった十字軍ですが、1204年の第4回十字軍は、イスラームを攻めずに、あろうことかビザンチンを攻撃し、フランス人を中心とした「ラテン帝国」を作ってしまいました。 ビザンチンの貴族たちは小アジアに逃れ、「ニケーア帝国」と「トレビゾンド帝国」を建国しました。
ラテン帝国のビロン・トラキー貨 1204~1261年
表 : バージンの立像
裏 : 皇帝の立像
ラテン帝国は、ヴェネティアの資金を元にフランスの騎士を中心とする第4十字軍が建国したものです。
貨幣の形態はビザンチンのそれを見習っています。
1.5g 19mm
トレビゾンド帝国のアスペル銀貨 1280~1297年
表 : 聖エウゲネスの像
裏 : ヨアンネス2世像
トレビゾンド帝国は、第4十字軍がコンスタンチノープルを占領したとき、ビザンチンの貴族が黒海東南岸に建国した国です。
周辺国家と巧みな外交を行い、東西交易の中継地として栄えました。
ビザンチン帝国が滅亡した数年後にオスマントルコに戦わずに降伏しました。
2.8g 21~22mm


■ 修道院スタッフの俸給
役職人数平均年俸現物支給
主任司祭1名15.0ノミスマ小麦320Kg
病院長1名8.7ノミスマ小麦425Kg,大麦510Kg
聖堂のスタッフ54名10.6ノミスマ小麦255Kg
病院のスタッフ103名3.4ノミスマ小麦212Kg
老人ホスピスのスタッフ8名2.6ノミスマ小麦250Kg
1136年、コンスタンチノープルの中心部にパントクラトール修道院が建てられました。 この修道院には帝国が運営する病院が付属していました。 右の表は、1136年のこの病院職員の俸給です。 金貨の他に小麦などの現物支給もあったようです。



● ビザンチン帝国の終焉 (13~15世紀)

1261年、ビザンチンは再びビザンチン人の皇帝となりました。
しかし、国内は荒れ、東のオスマントルコはますます強大になり、盛んに侵入してきます。 西ヨーロッパ世界も今度は援助してくれなくなりました。
さらに、14世紀にはアンドロニクス2世と3世(祖父と孫)の骨肉の争いなどもあり、国力はかつての姿ではなくなりました。

アンドロニクス2世・3世のヒュペルピュロン金貨 1325~1334年
表 : マリアの胸像。
裏 : 中央にキリスト、左にアンドロニクスⅡ、右にアンドロニクスⅢ。
オスマントルコとの争いが始まった頃の皇帝たちです。
本当はもっと外周が広かったのですが、だいぶ切り取られてしまっています。
2.8g 19~21mm

1453年、オスマントルコのメフメド2世によりビザンチン帝国は滅亡し、1千年の歴史を閉じました。


ノミスマ νομισμα
「ノミスマ(Nomisma;ΝΟΜΙΣΜΑ)」とは、ギリシャ語で貨幣一般をさす言葉です。 複数形は「ノミスマタ(Nomismata)」です。 英語の「 Numismatist(コイン学者)」の語源です。
通常はビザンチンでの最も標準的な金貨の呼称として使われています。 標準的な金貨は次の2種類がありました。
「ソリダス金貨」 - 312年にコンスタンティヌス帝がはじめて発行。 重さ72分の1ポンド(4.5g)、ほぼ純金に近いもの。
「ヒュペルビュロン金貨」 - 1092年にアレクシオス1世がはじめて発行。 品位は20.5カラット(85%)でした。
なお、西ヨーロッパ世界では、この金貨を「ベザント(Bezant)」と呼んでいました。 ”ビザンチンのもの”といった意味合いでしょう。


参考文献:
  塩野七生、「ローマ人の物語」、新潮社、1992~2006
  クリス・スカー、「ローマ皇帝歴代誌」、創元社、1998
  クリス・スカー、「地図で読む世界の歴史-ローマ帝国」、河出書房新社、1998
  久光重平、「西洋貨幣史」、国書刊行会、1995
  ジョナサン・ウィリアムズ、「お金の歴史全書」、東洋書林、1998
  井上浩一、「世界の歴史⑪ ビザンツとスラヴ」、中央公論社、1998
  久光重平、「西洋貨幣史」、国書刊行会、1995
  歴史学研究会編、「ネットワークのなかの地中海」、青木書店、1999
2021.9.28
   「AES GRAVE」「ローマコインの物語」「ビザンチン帝国のコイン」 の3つを整理統合。