寛永3年(1626)? 「二水永背広三」 「永」字が「二」と「水」に分解されるような字体になっていることから、「二水永」と呼ばれています。 背の「三」は寛永3年の3だといわれています。 3.2g 23.7mm |
寛永13年(1636) 近江坂本・「不跳永」 近江の坂本は、水戸と並んで、中世末期に良質の銭を生産していたことで有名でした。 3.5g 24.3mm | ||
寛永13年(1636) 江戸浅草橋(通称御蔵銭)・「正字」 御蔵銭は、書体が極めて多種多様あり、「志津磨百手」ともいわれています。 そのうちの「正字」系は書体が整い、通用銭でも美品は彫りが深く、飽かずに見ていられます。 3.2g 24.0mm | ||
寛永14年(1637) 長門萩・「太細様」 長門では、他の銭座の銭を手本にしました。 画像の品は、松本の銭を手本にしたもので、毛利家に伝わっていた「毛利家手本銭」の一つです。 3.9g 24.7mm |
承応2年(1653) 京建仁寺・「大字」 古寛永の第二期に、京都で製造されたものです。 文字変化が少なく、均整のとれた書体です。 3.8g 25.0mm |
寛文8年(1668) 江戸亀戸・「正字背文」 面の「寛」と、背の「文」で、発行年の「寛文」を意味しているそうです。 寛永通宝の中でも、最も標準的でポピュラーなものです。 3.5g 25.0mm | ||
延宝2年(1674) 江戸亀戸・「島屋無背」 寛文亀戸銭の背を削除したものです。 島屋某の書体を使ったとのことで、「島屋銭」と称されています。 3.3g 25.2mm |
元禄13年(1700) 京都七条・「草点永」 これまでの重さの6割しかありません。 俗称「荻原銭」と呼ばれています。 2.2g 23.3mm |
正徳4年(1714) 江戸亀戸・「耳白銭」 耳(縁)が広い(江戸っ子はシロイと発音)ことから、ミミシロ銭、「耳白銭」と呼ばれました。 3.3g 25.4mm |
享保2年(1717) 佐渡相川・「背広佐」 面は、寛文期の江戸亀戸銭をそのまま利用しています。 3.7g 25.2mm | ||
享保13年(1728) 陸奥石巻・「マ頭通背仙」 3.0g 24.2mm |
元文元年(1736) 深川十万坪・「含二水永」 3.0g 22.7mm | ||
元文4年(1739) 深川十万坪・「含二水永」(鉄銭) 上の銅銭と同じ母銭から作られた鉄銭です。 3.0g 23.4mm |
元文4年(1739) 陸奥石卷・「大字背千」(鉄銭) 石卷では大量の鉄銭がつくられ、江戸の経済を混乱させるほどでした。 3.2g 24.0mm | ||
寛保元年(1741) 下野足尾・「小字背足」 足尾銅山で作られました。 2.3g 22.2mm | ||
明和4年(1767) 肥前長崎・「背長」 銅の1文銭は、これが最後の発行でした。 2.5g 23.1mm |
安永3年(1774) 常陸太田・「背久二」(鉄銭) 背の「久」は、生産地の久慈郡の「久」です。 この銭も大量に作られました。 2.9g 24.0mm |
明和5年(1768) 江戸深川千田新田・「背廿一波」 背面のデザインは、発案者の川井久敬の家紋です。 波の数は21ありましたが、翌年から11になりました。 5.5g 27.2mm | 「丸に青海波」 |
文政4年(1821) 江戸深川千田新田・「大字」 赤銅色の銅銭です。 4.5g 27.3mm | ||
安政4年(1857) 江戸深川千田新田・「小字」 真鍮質で、やすりがけが独特です。 寛永通宝最後の銅銭です。 4.4g 28.1mm |
万延元年(1860) 江戸深川千田新田・「俯永」(鉄銭) 5.0g 28.6mm | ||
慶応元年(1865) 常陸水戸藩・「小字背ト」(鉄銭) 「ト」は「水戸(ミト)」の「ト」です。 江戸小梅の水戸藩邸内で鋳造されました。 3.8g 26.1mm | ||
慶応2年(1866) 陸奥盛岡藩・「背盛」(鉄銭) 5.2g 27.9mm |
出羽・秋田加護山銭 阿仁銅山の柔らかい銅質です。 痛みやすいため、内郭を補強しています。 3.5g 25mm | ||
陸奥・八戸葛巻銭 通称「目寛」(鉄銭) 小さくなりすぎて、「寛」の字が「目」のように見えます。 2.2g 19.8mm |
明治?年(1868?) 下田極印銭 明和期の当四銭の上部と下部に「下」「タ」の極印を押しています。 4.4g 28.1mm |