初期不知銭 二水永背広三 「永」字が「二」と「水」に分解されるような字体になっていることから、「二水永」と呼ばれています。 背の「三」は寛永3年の3だという説があります。 3.2g 23.7mm |
寛永13年(1636) 江戸浅草橋場 通称「御蔵銭」 正字長尾寛 御蔵銭は、書体が極めて多種多様あり、「志津磨百手」ともいわれています。 そのうちの「正字」系は書体が整い、通用銭でも美品は彫りが深く、飽かずに見ていられます。 3.3g 24.1mm |
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寛永14年(1637) 仙台 濶字手背大濶縁 ご覧の通り背の縁がやたら広いもものです。 2.9g 24.3mm |
寛文8年(1668) 江戸本所亀戸 縮字背文 背の「文」は、「寛文」の「文」です。 背文銭は数十種類に分類されていますが、掲載の品のみ通字用画の二引上側の後半が点になっています。 この特徴は、後の延宝期の亀戸銭と享保期の佐渡銭に引き継がれています。 4.2g 24.2mm |
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寛保元年(1741) 大坂高津 小字背元降宝大様 背の「元」は、「寛保元年」の「元」で、大坂で発行されたものです。 「背元銭」は、小ぶりで軽量なものが多いのですが、左の品はその中では大型に属します。 2.2g 22.7mm |
元文4年(1738) 江戸深川十万坪 含二水永 3.0g 23.4mm |
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明和5年(1768) 仙台石ノ巻 小字背千 鋳放し 鋳型から取り出した銭を切断し、余分なところを整形してきれいな円形にするはずのところ、最後の工程が行われず、そのまま流通してしまったものです。 仙台藩は、このころから幕末にかけて大量の鉄銭を製造、そのため良質の銅銭が退蔵され、東北地方の経済が大混乱したといわれています。 2.9g 22.1mm |
明和5年(1768) 江戸深川千田新田 二十一波 長尾寛 日本最初の当四銭。 当四銭は最初はこのように波が21ありましたが、翌年に11波にデザイン変更されました。 5.5g 27.2mm |
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安政6年(1859) 江戸深川千田新田 小字無爪永(真鍮質) 銅銭としては最後の官鋳品です。 幕末混乱期の製品にしては、品質がいいものです。 4.7g 28.1mm |
万延元年(1860) 江戸深川千田新田 小字 安政期の銅4文銭の翌年に、鉄銭になりました。その最初の当四鉄銭です。 5.2g 28.8mm |
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慶応2年(1866) 南部藩 背盛 背の「盛」は盛岡の盛です。 会津藩、水戸藩、津藩なども鉄の4文銭を大量に作成しました。 5.2g 27.9mm |
下田極印銭 - 明和6年(1769) 江戸深川千田新田 俯永 明治4年の交換レート、寛永通宝銅1文=新1厘、銅4文=新2厘では4文銭の価値が半減すると、伊豆下田で大騒ぎとなりました。それではと、下田に限り4厘で通用させることにして、その印として「下」「タ」の極印を打ち付けたものです。 なぜ下田だけ? などと疑問が残らないわけではありません。 ただの極印だけなので、後世の贋作も多いものです。 4.4g 28.1mm |
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