古代ヨーロッパのコイン

 古代、エーゲ海の西側(現在のギリシャ)を「ヨーロッパ」、東側(現在のトルコ)を「アジア」と呼んでいました。
 この世界の最初のコインは、アジアにあったリディア王国(BC670-546)によって発行されました。 ヨーロッパコインの源流は、ヨーロッパではなく、アジアにあったのです。
 ”リディア人は、われわれの知る限りでは、金銀の貨幣を鋳造して使用した最初の民族であり、また小売制度をはじめたのも彼らであった。” ・・・ ヘロドトス『歴史』
 最初はエレクトロン貨(金と銀の自然合金)で始まり、次いで金貨と銀貨(特に銀貨)が中心でした。 銀貨が中心ということは、日々の生活のためではなく、貿易や軍事用のためであったと思われます。 この点、古代の東洋が青銅貨中心だったことと対照的です。
 そして紀元前4世紀ころから日常生活用の銅貨も作られるようになりました。


(1) リディアとペルシャ
 リディアのパクトロス川で、金と銀の自然合金が産出しました。 リディアの王様たちはそれを元にコインを作りました。 豆粒のような形のコインです。
 それまで、兵士たちの給料は小麦などでしたが、コインにかえました。 そして兵士たちに「コインを持ってくればいつでも小麦と交換する」と約束しました。 兵士たちも、この方が便利なので喜びました。
 これを知った牧場の人は、羊とコインを交換しました。 これを知った大工さんは、大工仕事をコインで請け負いました。 これを知った海辺の人は、塩とコインを交換しました。 こんな風にして、コインが世間に流布し、その価値も自然に定まってゆきました。
リディア王国の1/3スターテル・エレクトロン貨
紀元前7~6世紀

表:獲物を狙っているライオン
裏:陰刻
4.71g 12.0mm 厚さ4.6mm
 
 この頃、1スターテル(上のコイン3枚)は兵士1ケ月分の給料、または羊30匹の値段だったそうですから、上のコインは現代人には10万円金貨のような感覚でしょうか。
 『エレクトロン(Electron)』とは古代ギリシャ語で「琥珀(こはく)」のことです。
 リディアで作られた金と銀の合金のコインは、こはくと色と形が似ていることからエレクトロン貨と呼ばれています。
 ■こはくを摩擦すると静電気が発生することから、電気の源をエレクトロニクス(electronics)と呼ぶようになりました。

 リディアを滅ぼしたのはアケメネス朝ペルシャ(BC559ー330)です。 ペルシャは、滅ぼしたリディアの貨幣制度を見習いました。
アケメネス朝ペルシャのシグロス銀貨 紀元前5世紀
表:弓と槍を持つダリウス1世
裏:陰刻
5.54g 15.7mm


(2) ギリシャ
 ペルシャ戦争(BC500-479)でペルシャを撃退したアテネは、ギリシャ世界の盟主となり、同盟国からの拠出金を元に潤沢に銀貨を発行し、ギリシャ世界ではこの銀貨のみの通用を許しました。
アテネのテトラドラクマ銀貨 紀元前5世紀
表:アテナ女神。知恵、学芸そして戦争の女神でした。
裏:フクロウ、左上にオリーブの小枝と三日月、
右にAΘE(Atheアテナイ人のために)。
16.4g 23.5mm
 この当時のギリシャの貨幣単位は、
     【タラント】─300─【スタータ】─2─【ドラクマ】─6─【オボル】
で、1ドラクマはおよそ4.3グラムの銀貨でした。
 ■タラント(talent)は、その後 ”才能” の意味に転化し、さらに現在では ”芸能人(タレント)” の意味になっています。

 当時のアテネ市民の労賃は、
    重要な仕事  1日2ドラクマ
    普通の仕事  1日1ドラクマ
    簡単な仕事  1日半ドラクマ
でしたから、1ドラクマは現代人の1万円くらいでしょうか。 上の銀貨は4ドラクマですから、4万円銀貨ということになります。
■アテネのコインについてもっと詳しくは ⇒ 「古代アテネの市民生活」

 ギリシャ人は、黒海と地中海沿岸に自分たちの植民都市を築きました。 「マグナ・グラエキア」と呼ばれています。
 それらの都市では、都市独自に様々なコインを発行しました。

メタポントゥムのスタータ銀貨 紀元前6世紀
表:麦の穂 METAの鏡文字
裏:麦の穂の陰刻
メタポントゥムは、イタリア半島南部にあった都市です。
8.03g 21.6mm
      カルケドンのドラクマ銀貨 紀元前5世紀
表:雄牛
裏:幾何模様
カルケドンは、ビザンチオン(イスタンブール)の対岸にあった都市です。
3.8g 14.1mm
      ケルソネソスの半ドラクマ銀貨 紀元前5世紀
表:ライオン
裏:幾何模様
ケルソネソスは、黒海北岸のクリミア半島にあった都市です。
2.4g 12.6mm
     マッサリアの1オボル銀貨 紀元前4世紀
表:女性像
裏:MとA
マッサリアは、現在のマルセーユです。
0.5g 11.6mm
  アスペンドスの銀貨 紀元前4世紀
表:レスリング
裏:やり投げ
古代オリンピックはギリシャ世界各地で行われていたようです。
10.5g 22~25mmg
シラクサの銅貨 紀元前3世紀
表:ヒエロン2世
裏:騎士
アルキメデスに王冠に混ぜ物がないかを調べさせた王様です。
17.7g 26.8mm
アミッソスの銅貨 紀元前2~1世紀
表:ゴルゴン
裏:ニケ AMIΣOY
アミッソスは、黒海南岸にあった都市です。
9.0g 19.4mm
 これらの都市のほとんどは、紀元前後までにローマに併合されました。


(3) アレクサンドロスとその後継者
 ギリシャ北部のマケドニア王フィリップ2世は、ギリシャの盟主となり、その子アレクサンドロスはペルシャを攻め滅ぼしました(BC330)。
 彼は、ペルシャより得た潤沢な金銀でコインを鋳造しました。
 彼のコインの表面は、ライオンの頭皮を被ったヘラクレス神ですが、大王自身がモデルだと言われています。
アレクサンドロス大王のテトラドラクマ銀貨 紀元前4世紀
表:ヘラクレス神
裏:ゼウス 右横にΑΛΕΞΑΝΔΡΟΥ
16.83g 27.9mm

 アレクサンドロス大王が若くして死ぬと(BC323)、大王領は数人の後継者によって分割されました。
 それらのうち、エジプトを支配したのがプトレマイオス王朝です。
プトレマイオス朝のシェケル銀貨 紀元前1世紀
表:フェニキアの神メルクォート
裏:鷲
14.1g 24.0mm
 ユダがキリストを売ったときに得た30枚の銀貨は、上のシェケル銀貨とされています。
■アレクサンドロスのコインについてもっと詳しくは ⇒ 「アレクサンドロスの夢」


(4) ローマとカルタゴ
 ローマは、建国当初はギリシャ世界のコインを使っていましたが、紀元前270年に独自の貨幣制度を定めました。
 1アス=324グラムを規準に、1アスから12分の1アスまでの銅貨を発行しました。 非常に重い銅貨でした。
 同時代の中国と同じ「銅本位制」です。

ローマの1/2アス銅貨
紀元前3世紀

表:サターン
裏:ガレー船の舳先 S
127g
51.5mm 厚さ12.8mm
 第二次ポエニ戦争(BC218-201)のころから、1アスの重さはだんだん小さくなり、当初の1割近くになっていました。 そして、紀元前211年に貨幣制度を改めました。
     【デナリウス銀貨】─10─【アス銅貨】
を規準とするものです。 他の諸国同様、「銀本位制」に変わったのです。

ローマのデナリウス銀貨 紀元前1世紀
表:大蛇を踏みながら歩く象 CAESAR
裏:斧
カエサルが発行したものです
3.59g 17.4mm

 ローマの発行した「デナリウス銀貨」は、ギリシャの「(テトラ)ドラクマ銀貨」に代って、地中海世界の標準通貨となりました。
 新約聖書にたびたび登場する「デナリ」はこの銀貨のことです。
 この時代、農場労働者の賃金は1日1デナリウスでした。 また、軍団兵士の年俸は140デナリウスでした(衣食住つき)。 1デナリウスは、我々の1万円程度でしょうか。
 ■デナリウス(denarius)は、その後発音が変化しましたが、イギリスの現在の貨幣単位ペニー(penny)の語源です。

 ローマと争ったカルタゴは、フェニキア人の植民都市です。
 フェニキア本国より栄えたこの都市でも、独自の銀貨・銅貨を発行していました。
カルタゴの銅貨 紀元前3~2世紀
表:タニット女神
裏:椰子の木のそばに立つ馬
2.2g 15.7mm
 ローマがカルタゴを滅ぼす(BC146)と、ローマはカルタゴの財物を徹底的に破壊しましたので、金銀貨の現存量は極めて希少です。
■ローマのコインについてもっと詳しくは ⇒ 「ローマコインの物語」




  神話から歴史へ
◆フリュギアの王ミダス(紀元前10世紀)
 フリュギアは、今から3000年前、現在のトルコにあった国です。
 フリュギアの王様ミダスは、あるとき見知らぬ人を家に招いて歓待しました。 その人は、実は酒の神デオニソス(バッカス)の養父だったのです。
 感激したデオニソスは、ミダスの望みを一つだけかなえてあげると言いました。  ミダスは、自分の身体に触れるものがすべて黄金になることを望みました。
 望みはかなえられたのですが、ミダスが食べようとしたものはすべて金になってしまい、抱きしめようとした娘も金になってしまいました。
 びっくりしたミダスは、元に戻してもらうよう願い出ます。 デオニソスは、パクトロス川で身を清めるように言いました。 ミダスは元に戻り、その後パクトロス川では砂金を産するようになりました。

◆リディアの王クロイソス(紀元前6世紀)
 フリュギアを滅ぼしたのは、リディアです。 リディアの王様はパクトロス川の近くのサルディスを都としました。 そして、パクトロス川でとれたエレクトロン(金と銀の合金)を元に、コインを作りました。
 5代目の王様、クロイソスはエレクトロンを金と銀に分離して、金貨と銀貨をたくさん発行しました。 今でも「クロイソス」は「大富豪」の代名詞になっています。
 クロイソスは、隣のペルシャを征服しようとして、逆に戦に破れ、捕らえられてしまいます。 ペルシャの王が勝ち誇ったように言いました、
 「見なさい、私の兵士たちが、お前の財宝を略奪している。」
 クロイソスは答えました、
 「私は戦に破れたのです。あの財宝はすべてあなたのもの。あたなの兵士たちがあなたの財宝を略奪しているのです。」
 答えに感心したペルシャの王は、クロイソスの命を助けることにしました。
  (地図は、昭文社「GLOBAL 世界&日本地図帳 MAPPLE」を利用しました。)

  メソポタミア文明の銀貨
 リディアでコインが発行されるよりずっと前から、メソポタミアでは銀が貨幣の役割を果していました。 旧約聖書にも、
    ■(アブラハムは)また、サラに言った。「わたしは、銀1000シェケルをあなたの兄上に贈りました。」(創20:16)  推定紀元前14世紀
の節があります。 (シェケルとは重さの単位で10g前後です)
 当時古代メソポタミアでは、銀を螺旋状に巻いたものが貨幣の役割を果していました。
 「ハル(シュメール語)」または、「シェヴェル(アッカド語)」と呼ばれていました。 どちらも螺旋を意味します。
 下の画像はイラク出土のもので、伸ばすとおよそ3メートル、重さにして500グラム(50シェケル)近いものと思われます。
 旅行時に携行し、必要な大きさに切断して使ったらしいです。
 紀元前25~15世紀のアッカド王朝や古バビロニア時代のことです。
Moneda helicoide (coil money)
Baghdad近くのKhafajah出土 L223mm Φ47mm
出典:Oriental Institute Museum, University of Chicago

  かわった形のコイン
 コインが円形になる前は、円形でないコインもありました。
 矢じり形のコイン、いるかのコイン、リングのコイン、すべて紀元前5~3世紀ころに使われたものです。
 (ただし、貨幣ではなく、装飾用または祭祀用との説もあります)
 不思議なことに、これらすべては黒海西海岸近くに集中しています。

イストロスの矢じり形コイン
6.6g 41.0mm
オリビアのいるか形コイン
2.2g 27.1mm/1.3g 24.9mm
ケルトのリング形コイン
2.8g 21.0mm


参考文献:
  久光重平、「西洋貨幣史」、国書刊行会、1995
  ジョナサン・ウィリアムズ、「お金の歴史全書」、東洋書林、1998
  D.R.Sear,"GREEK COINS AND THEIR VALUES",Seaby,VolumeI 1978,Volume II 1979
  D.R.Sear,"ROMAN COINS AND THEIR VALUES",Spink,2000

2018.1.22   「ヨーロッパコインの源流」  「古代ヨーロッパの神々」  「古代のマイナーコイン」   を統合して、新規作成。
2022.8.29 少し改訂。